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【中学社会】歴史「フランス革命~ナポレオンの流れ」

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公開日: 2021年3月04日

たけのこ塾のホームページでも、中学生の勉強に役立つ記事を多数アップしていますので、ぜひご覧下さい→ https://takenokojuku.com/

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今回は視聴者の方からリクエストがありましたので、中学社会の歴史で学習する『フランス革命~ナポレオンの流れ』について解説しています。

(1)絶対王政

『絶対王政』とは国王が絶対的な権力をにぎっている政治体制で、常備軍と官僚組織がそれを支えていました。

絶対王政の頃のフランスは、イギリスなどと領土獲得をめぐって戦争を繰り返したため、慢性的な財政赤字に陥っていました。

そのため、第三身分である平民に重税を課していたため、国内の不満が高まっていました。

(2)フランス革命

平民の不満が高まった結果、1789年にフランス革命がおこり、自由・平等・私有財産の不可侵などをうたった人権宣言が出されました。

その後、革命勢力内で国王16世に対する不信が高まり、王政が廃止され最終的に国王は処刑されてしまいました。
 
(3)国内の混乱と外国の干渉

革命勢力内も一枚岩ではなかったため、さまざまな派閥が主導権争いを繰り広げ、フランス国内は混乱が続いていました。

さらに、革命の拡大を封じ込めたい周辺の国々がフランスに軍隊を送り、戦争がおこりました。

このような国家の危機的状況において、フランス国内ではナショナリズムが高まり、国民が立ち上がり兵として戦うようになりました。

(4)ナポレオンの台頭

国内の混乱と外国との戦争の中で、軍人のナポレオンが台頭してきました。

ナポレオンはその軍事的才能と大砲を有効活用した戦術で活躍を重ね、国民から高い支持を集めました。

1804年、ナポレオンは国民投票で皇帝の位につき、ヨーロッパ全域に勢力を拡大し支配しました。

フランスはヨーロッパ大陸に勢力を拡大する中で、イギリスとの対立を深めていきました。

(5)ナポレオンの失脚

ナポレオンはヨーロッパ大陸の国々にイギリスとの貿易を禁止しました。その結果、各地で不満が高まります。

またフランス革命の精神がヨーロッパ全域に広がることで、各地でナショナリズムが高まりました。

イギリスと貿易をしていたロシアを制裁するため、ナポレオンはロシアに遠征しましたが、ロシアの焦土作戦にはまり大敗北を喫しました。

(6)ウィーン体制

ロシア遠征に失敗したナポレオンは、力を失い失脚しました。

その後、1815年に開かれたウィーン会議により、英露墺普仏の五大国が中心となり、勢力均衡による秩序の維持を図っていくことが決まりました。

今後も中学生の勉強に役立つ動画をアップロードしていく予定なので、よろしくお願いします。

以前の動画で『季節風と偏西風の違い』について解説していますので、ぜひコチラもご覧下さい⇒ https://youtu.be/CeF1kV6UREs

#歴史 #フランス革命 #ナポレオン

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中学理科の様々な分野について、シンプルなイラストとテキストで軽快に解説してくれています。派手さはないですが、非常に簡潔で分かりやすい動画です!

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